個人制作
あやちゃんの絵は、忘れていた記憶を呼び起こしてくれる。
子どもの時に、こだわったり、印象深かったりしていたことで、でもいつの間にか忘れてしまっていたことを思い出します。
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これは、私の姉が手紙に書いてくれた言葉だ。
姉に限らず、そう言っていただくことが増えている。
それは、どういうことなんだろう。
絵を描く、というのはとても不思議な行為だ。
対象を前にして自分を空っぽにして描いても「自分臭さ」のようなものが付いて回るし、逆に、慣れ親しんだモチーフを描いているのに、自分が無くなることもある。
自分の中に無いものは描けない。
だが何かにふれたとき、いきなり脳裏にふうっと浮かぶものがある。
私はそれを描き留める。何かを損なわぬよう、細心の注意を払って。
これは一体、何なのだろう。
自分の中から取り出した、推敲もしていない言葉で綴るならば。
私はきっと、『森』のきわにいるのだと思う。
私たちが毎日向き合っている現実が、明快で迷いのない、正しい世界なのだとしたら、この『森』はうっそうと草木が生い茂り、得体のしれないものが息づく、深く暗い世界だ。
どうも私はその二つの世界の、『あわい』に立っている感覚がする。
そして、自分にとって絵に描くということは、この森の中で、
ほしを汲む
ということをしているのだと思う。
姉が森にそっと置いていった、ほし。
きっと森の中には、誰かの「ほし」がたくさんあって、それらを私はすくい上げて、あったかいタオルでくるむような、冷たい水で汚れを落とすような、何かそういうアプローチをしている。
私はほしを素に戻して、再び空に戻し、遠くからでも見えるようにしたい。
それが個人で絵を描くときに、特に思うことだ。